研究会の発足にあたって




 私が居合を始めたのは、平成元年の初夏でした。


 当時、私は愛知県に住んでおり、大学2年生でした。
 「新陰流」に憧れ、剣道日本を調べまくった結果、この先生を探し当てれば教えて頂けるのでは、という人物に辿り着きました。
 しかし、確信はしたものの、つてなど全くなく、自力で探し当てる以外の賢い方法は思い浮かびませんでした。
 手当たり次第、名古屋市内を周遊し、聞き込みをして、ようやく、ここだ!という道場を発見しました。八事(やごと)の一心寺というお寺でした。
 お寺へ向かう通路で夕方4時から待ち伏せ?し、お道具を担がれて歩いて来られた先生に、いきなりその場で「押掛け弟子」入りをお願いしました。
 念願叶ってやっと巡り合えたその先生は、新陰流範士八段(当時は教士八段)秋田森治先生でした。
 その日の嬉しさは、今でも、昨日のことのように鮮明に覚えています。


 こうして私は、秋田門下生として、新陰流洗心会の一員となり、名古屋の東別院の境内にある洗心道場で新陰流と全日本剣道連盟居合を学ぶことになりました。
 道場では、初っ端の初心者の時に、一通りの業の形だけは教えて頂きました。
 しかし、その後は、基本的には「教えない」指導を受けました。
 秋田先生はよく私に「わしを見て覚えよ」とおっしゃいました。
 真似をしてやってみると、じーっと見ておられ、終わると「まあ、最初はそんなもんだ」とおっしゃいました。日々、その繰り返しです。
 ちなみに10年経っても、私は「まあ、最初はそんなもんだ」と言われておりました……。やる気の有るやつと無いやつとでは、雲泥の差のつく指導法でした。
 私は、日々、目を皿のようにして上手な方の業を盗もうと必死でした。

 また、毎週末には、秋田先生の一番弟子であらせる教士八段(当時は教士七段)松岡良高先生の教えを受けたい一心で、片道2時間半の道のりを江南・岩倉(ローカルな地名ゆえ、よほど地理に詳しくないと分からないと思いますが、とにかく遠いのです)まで通い続けました。
 これこそ、まさに、とんでもなく迷惑な押掛けでしたが、新陰流江南会・岩倉会の皆様方の温かさの中で、私は松岡先生の居合から、 この先何処までも大切にし続けるであろう多くのことを学ばせて頂きました。


 そうこうしているうちに、平成11年の春、私は仕事の都合で愛知から千葉へと移らざるを得ない状況となりました。これは、私の居合人生にとっては、断腸の思いの出来事でした。
 千葉には(千葉に限らず愛知から外に出たら)新陰流が無いことを知っていました。私はあくまでも新陰流にこだわり、千葉では道場を探さず、1〜2ヶ月に一度、新幹線で愛知へ帰り、秋田松治先生(教士七段)と洗心道場の皆様の御好意で、稽古会を行って頂いておりました。
 そして、平成12年の秋、愛知にて五段を頂戴いたしました。
 しかし、自分の中では既に限界を感じていました。それまでの貯金を使い果たして何とか五段は頂けましたが、審査当日、審査を受けながら、自分の居合は最早ここまでだ、と思い知りました。
 その後、愛知へ帰ることもほとんど無くなり、あれだけ没頭していた居合から遠く離れたまま、月日が流れました。


 今年(平成14年)の春、3年間という月日をかけて思い悩み考え抜いた末、一つの結論が出ました。
 それは、千葉で居合を再開する、という道でした。
 秋田先生にお願いをし、千葉支部の師範・夢想神伝流範士八段 岸本千尋先生と、支部長・教士八段 野口榮男先生に私を託して頂きました。5月10日より、私は千葉支部の一員となり、流派を替えて神伝流と全日本剣道連盟居合を学ぶことになりました。千葉支部へ通うようになり、自分の古巣の道場とのあまりもの違いに、ただただ驚きの連続でした。
 流派が違えば、雰囲気からして色々な点で大きく異なるであろうことは、予め十分に予想していました。しかし、私が驚いたのは、流派による違いなどとは全く別のことでした。
 何と! 四段が「先生」と呼ばれ、初心者のお弟子さんを持たれて指導をされているのです。
 そもそも「教えない」上に、教えるとすれば秋田先生直々か七段の先生が当たり前であり、五段ごときが人に教えるなど、全くあり得ない道場で育った私にとって、これは(当時の正直な思いで言うと)目が「・」でした。

 また、與島宏先生(教士七段)に、「よろしければ是非、初心者に教えてください」と言われ、いきなりそんなことを言われても、人に教えた経験ゼロの私にとっては、一体、何をどうすれば良いのか全く分からず、ただただ困惑するばかりでした。
 その一方で、四段のお二人は、私に一から神伝流をとても分かりやすく丁寧に教えてくださいました。四段のお二人には感謝の気持ちで一杯であると共に、五段なのに千葉支部に何も貢献できていない、ただ自らの稽古に行っているだけの自分の居場所が無い、肩身の狭い思いの日々が続きました。


 この10月9日 (水)、私が千葉大学に赴任して体育会剣道部に居候して、ちょうど3年半にして、学生諸君の理解を得、ようやく、ようやく、念願の「千葉大学 居合道研究会」を発足することができました。
 千葉支部に来るまでは、まさか自分が中心になって居合を教えるなど、考えたこともなかったし、正直、自分の稽古と試合のことばかり考えていて、教えることなど全く興味もありませんでした。
 しかし、千葉支部で四段が初心者を教えている姿に衝撃を受け、最初は戸惑いながらも、だんだんと、自分も人に教えるということで、もしかして、今まで見えて無かった何かが見えて来るかも、という思いが強くなりました。
 千葉支部に来て以来、與島先生にも何度か勧められていたこともあり、このたび、思い切って立ち上げに踏み切りました。

 活動内容ですが、何せまだ始めたばかりで、どたばた、試行錯誤の連続です。
 人に教えることも神伝流も初心者のわたくしが、研究会員の学生くん達を半分実験台にしながら(ごめんなさい!)、その運営のありのままの姿を、成長の足跡として残して行くため、このホームページを開設いたしました。
 みなさま、お時間ある時には、是非とも、本ホームページ*1にアクセスしてみて頂けませんでしょうか? 千葉支部のホームページに比べますと随分と見劣りしますが、売りは、私が毎稽古ごとに一生懸命付けている<活動記録>と、私と同好会員の学生くん達と千葉支部の皆様方の温かい励ましのもとで綴られている<掲示板だよ!>です。時々御覧になって頂けましたら嬉しいです。

 最後になりましたが、本同好会の発足に際しましては、千葉支部のみなさま方の御好意により、何本も模擬刀を快くお貸し頂くことができました。この場を借りまして、感謝申し上げます。
 また、現在の私を支えてくださっている夢想神伝流範士八段 岸本千尋先生をはじめとする千葉支部の皆様方、並びに過去の私・そして現在も陰ながら応援してくださっている新陰流範士八段 秋田森治先生をはじめとする愛知の新陰流の皆様方に心から謝意を表します。


平成14年10月24日
千葉大学居合道研究会 顧問*2  石田 理永

                  *1:この「ホームページ」は初代サイトのことです。
                  *2:本文を寄稿していただいた当時。



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